3浪無我の体系ノート

大学受験に3度失敗した、3浪の無我です。日常、自分の不合格体験をもとにした話など、できるだけ受験生のためになるようなブログを書いていきます。よろしくお願いします。

「合格体験記」の正しい読み方

暑いね…。無我です。

突然だが先に予告を。

 

明日7/2か明後日7/3に7月の学習計画をたてたものを公開する予定だ。そんなたいそうなもんじゃないが、3浪生の学習計画が、たまたまこのブログにありついた今後の受験生の何かのお役に立てればと思う。

 

 

さて本題に入る。今回はタイトルにもある通り「合格体験記」の扱い方、読み方について自分の経験から少し持論があるのでそれをまとめて書かせていただきたい。

 

 

ちょうど夏場にさしかかってきたという事で、昨年度の合格体験記集のようなものが高校で配られたり、書店で売られていたりするのを見た事があるだろう。

 

 

それら合格体験記をみて、

◯合格者の勉強法や勉強時間を参考に自分の勉強計画をたてる

◯モチベーションのあげ方を見習う

 

 

など合格体験記から何かを学びとろうと思う人が多いかと思うが、先に言っておくが僕は反対だ。今からその理由を兼ねてオススメの「合格体験記の読み方」を述べていきたい。

 

 

さて早速だが僕がオススメする「合格体験記の読み方」を書いていきたい。まず結論を書く。

 

「『点数』と『合格した大学』以外ほとんどあてにならないし、それ以外を読むのは逆に危険であるのでやめるべき」

 

 

というのが僕の考えだ。詳しく説明していきたい。

 

 

 

そもそも合格体験記というものは、大学に合格した人が、合格した「直後」に、予備校や高校、通っていた塾に書かされるものだ。

なぜ書かされるのか。その理由は

 

「その予備校や高校、あるいは塾が新規入学者への勧誘に用いるため。また在学者に見せることでモチベーションを高めるため。」

 

である。

 

すると当然だが、いい内容(向こうサイドが意図する内容のもの)しか採用されない、あるいは書く前の段階で書くにあたっての指定や条件がある場合が多いだろう。つまり、編集者側(権威)のバイアスが大いにかかってくるのだ。

 

 

よって、書き手(合格者)からすれば

◯書きたいものを書けない

◯書いても掲載されない

◯本来の意図と違う方向で読み手に伝わってしまう

 

 

という事が起きる。よって、合格体験記の「内容」に関してはあまり信用できないだろうと言っているのだ。

 

 

その点、「点数」と「合格大学」に関しては加筆、修正のしようがないのでほぼ100%信用できる情報になるだろう。

 

 

さて合格体験記の内容は読むべきではないとする理由の2つ目は

 

「合格者の思い出補正やキャラ設定が入るから」

 

 

という事だ。例を挙げれば分かりやすいかもしれない。

 

例えば、本当は毎日何時間も勉強してるけど、仲間内では見栄を張って「全然勉強してないけど受かった」キャラでいたい人は

 

「直前期だけ追い込みました。夏までは全然やってませんでしたけどね^_^」

 

とか

 

逆に自分が受かったのをいい事に「受験生に厳しい教師風」を装っている人は

 

「毎日10時間やらなきゃダメです」

「2時まで自分を追い込んだ」

とか…。

 

要するに何が言いたいかというと

「合格体験記なんてカッコだけで何とでも言える」

という事だ。それを真に受けて「自分も頑張んなきゃ」とか「自分はあんまり勉強しなくていいか」とか感情を揺さぶられる必要はないという事だ。

 

自分が立てた計画に自信をもって、かつ、それ通りに実行することでしか成績は上がっていかない。

 

 

☆「自分が合格したいのだから最後まで自分のやり方を守り抜け」

 

 

僕が1番今回の長文ブログで伝えたいことである。

人の勉強法、人の言葉にいちいち耳を傾けるな。

人の勉強法に惑わされ、自分を見失って不合格になった僕自信の昨年の失敗を元に書かせてもらった。本ブログが受験生の何かの役に立てれば幸いだ。

 

 

無我

 

 

 

 

 

浪人生の親戚問題

夏が正念場なのに夏バテの無我ですどうも。

 

 

今回は浪人生なら誰しもが経験したことのあるであろう苦悩についてボヤキを書いていきたい。タイトルにもある通り「親戚問題」である。

 

 

浪人生の苦悩の1つである「親戚問題」とは何なのか。簡単に言えば

「応援されればされるほど、浪数を重ねれば重ねるほど、元々円満な関係を築いてきたはずだった親戚を、無意識のうちに避けてしまう浪人生特有の現象」

の事だ。この時点で浪人生なら大いに共感してくれるだろう。

 

 

多少自分語りをしようと思う。

 

 

僕は、今は都内に住んでいるが、元々は田舎生まれな事もあり、生まれた頃から、田舎に住む親戚(特に祖父母)とは正月やお盆休みに帰省して色々な所に連れていってくれたり、共に多くの時間を過ごすような関係だった。

 

老体を引きずって高校の運動会や文化祭に来てくれたり、自分の習い事の発表会に来てくれたりもして、離れていてもいつも僕の身を案じてくれた大切な存在である。

 

 

 

だが浪人生になってからその関係は徐々に変化していった。

 

 

僕は浪人している事を「恥」として思ってしまうあまり、今までよくしてくれた親戚を遠ざけたし、今も遠ざけてしまっている。具体的には向こうからかけてきた電話にでなかったり。

 

浪人している事に対して、嫌味を言われたり、陰口を叩かれてるわけではないのだと思う。だけどもやはり

 

「勉強してないから浪人している」

「もうそろそろ諦めたら?」

 

と面と向かって(電話ごしにでも)思われたくない、言われたくないという気持ちが僕の中にあるのだと思う。要するに真実を突きつけられるのが怖いのだ。特に僕の場合は

 

「勉強してないから浪人している」×3(浪)

 

ということもあり現実逃避を極限まで続けてしまっているので、もはや目を見て喋る事などできない状態だ。

 

 

 

だから僕は普段は

 

「昔の人には中卒、高卒からの就職が当たり前の世界であり、浪人、という概念がないから僕の気持ちは分からない」

 

というテイにして、電話に出られない言い訳をしている。つまり、不甲斐ない自分からの「逃げ」である。

 

 

ここで誤解しないでほしいのだが、僕が浪人する事によって、親戚側の態度が変化しているなんて事はほぼないのだ。むしろ自分の長い受験生活を応援してくれてさえいる。

 

 

ただ、肝心の僕側が、その応援を素直に受け止められないし、応援されればされるほど、自らの浪人している(社会に適合できていない)状況を突きつけられる気がして、相手の声を聞くのが辛いのだ。

 

 

 

正直この関係を浪人中に改善する事は無理だと思う。なぜなら僕サイドの意識の変化が必要だからだ。僕サイドの意識は

 

「浪人をやめて大学生になる」

 

事でしか変わらない。社会に適合できないせいで自分にこびりついた「浪人生としての恥」を捨て、「大学生」という肩書きを得て、社会に適合できるからだ。

 

 

 

なので受験が終わったらすぐ帰省して恩返しをしたい。

 

 

 

多少自分語りが長くなってしまったが、僕以外にも受験生とくに浪人生で親戚との関係が気まずくなってしまっている人は多いと思う。そういう人は大体コチラ側の心にわだかまりがあるケースが多い。だからそのわだかまりを解かなければならない。

 

 

そしてこれを見てくれてるであろう受験生、浪人生に関しては、その「わだかまり」は合格する事によって一気に解消できるはずだ。僕もそうだと信じている。早く合格して一緒に恩返ししよう。

 

 

よくオトナ達は「他の誰かの為に合格しよう」とか綺麗事をぬかすが、そんなもん関係ない。自分の為に合格すればいい。自分の為に、自分が行きたい所に行ければそれでいいのだ。それが結果的に、結果論として誰かを喜ばせたり、誰かを助けたりする事につながれば儲けもんだというくらいがちょうどいいだろう。

 

 

僕の場合はその「儲けもん」は親戚達の笑顔である。

 

 

無我

授業受けるべきか内職するべきか

どうも。クーラー無しでは生きれない無我です

 

今回はタイトルにもある通り、自分の経験から「授業」と「内職」について考えていきたいと思う。ここでいう内職とは、授業中に授業と関係のない問題集をする、あるいはそもそも授業に出席せず、独学で勉強を進める事を言っている。「授業」と「内職」に関しての僕の意見をほぼ全てまとめているつもりだ。

 

 

実は僕は今、3浪目を自宅浪人、通称「宅浪」という形で謳歌している訳だが、1浪目は大手予備校に通っていた。その予備校時代の経験、プラス自分の高校時代の経験から、「授業」「内職」について自分なりの見解を示していきたい。

 

 

 

まず成績を伸ばす条件を考える。まだ合格を掴めていない僕が言うので説得力はないかもしれないが、成績(受験における点数)というものは

 

【インプット」と「アウトプット」を繰り返す】事で伸びていく

 

ものだと思っている。

 

 

ここでいう「インプット」は

「主に新しい知識を頭に入れる」作業

であるということだ。例えば授業で新しい事を習う、体系的にまとめられた参考書などを読み込むなどすることで知識を体系的に身につけることなどをさす。

 

 

 

一方「アウトプット」は

「蓄えた知識を答案として表現する」作業

であるということだ。例えば問題集や過去問を解くことで、入試本番の解答形式に慣れる、解けない問題を見つける事で知識の抜け(インプット不足)を補うことをさす。

 

 

この分類でいえば、授業というものは演習メインの授業などの一部例外を除けば、一般的には「主に新しい知識を頭に入れる」作業、すなわちインプットに分類されることが分かる。これが「授業」の分類である。

 

 

 

この前提を踏まえた上で「内職」を考える。

もし授業の内容が初学である場合、

「インプットの作業がまだ終わっていない」ということになる。インプット無しのアウトプットはあり得ないし、逆に非効率であるから大人しく授業を受けた方がいいだろう。

なぜなら、授業は最高に効率のいいインプットツールであるからだ。45分、あるいは50分机に座って集中するだけで多くの初見の知識が身につけられるものなど、そう簡単にはない。

 

 

 

だが一方で、主に予備校生に言いたいのだが、授業の内容が既習である場合はどうだろうか。

確かに知識の抜け(インプット不足)はあるかもしれない。しかしそれを補うのは同じインプットツールである授業だろうか?

違う。インプット不足を補うのは「アウトプット」分野である。

ならばどうするか。授業ではなく、問題集や過去問で自分の知識の抜けを発見しもう1度覚え直す作業が必要なのではないか。「合格するためには。」

 

 

 

受験生には時間がない。よく時間は有限だと言われるが、受験生ほどこの言葉の重みを実感している人間はこの世にいないと思う。僕に言わせれば、

「既習の内容をもう一度授業される時間は受験生にとってこの上なく無駄な時間」だと思う。

特に予備校生、担任や教務がよく言う、

 

「受かる人はちゃんと授業をうけてますよ。」

「去年合格した先輩はこの講座をとってました。」

 

は全部ウソだ。

ノルマを達成しようと躍起になる彼らの言いなりになってアウトプットの時間を奪われ、僕のようにみじめに3浪するか、

 

インプット、アウトプットのうち、自分が合格するためにはどちらが欠けているのか考え、場合によっては適当なところで見切りをつけ、合格へと向かうか。

 

後者になりたいのなら、「既習の授業、これ以上インプットが見込めない授業は切る」という選択は時間節約の面からしても必要だと思う。

「授業をうける」

を目的として予備校や高校に通わないこと。

「合格する」

ことを目的として、受験生には毎日を過ごしてほしい。

 

 

 

長くなったが、以上をもって、「授業」「内職」に関しての自分の意見、不合格体験記からくるアドバイスを述べさせて貰った。参考になれば幸いである。

 

 

無我

 

 

 

机に向かうための3ステップ

どうもこんにちは。

 

今回は3浪の僕が過去3年間の受験生活を元に編み出した、

「机に向かうための方法」

を紹介したいと思う。この3つで多少やる気がない時でも、僕はある程度スムーズに机に向かえるようになっているやり方なので、勉強に限らず

「やるべき事、タスクが山積みであるが、机に向かうまでが億劫」

という方のご参考になればと思う。

 

 

前置きはさておき、まず一つ目は

 

 

①「スマホ、その他誘惑物を物理的に遠ざける」

 

 

である。まずこの段階でかなりの効果を得られると思う。過去の僕を含め、「物事に集中できない。」とごちゃごちゃ言ってる人の多くは、スマホの通知に気を取られ、これじゃいかんと思って勉強アプリや集中アプリなるものを入れても長続きせず、結局見るのはTwitter、インスタ、YouTubeだと思う。

 

 

そういう人達は早く気づくべきだ。

何かに集中すべきときに、スマホを筆頭とする色んな誘惑物と共存する道は「無い」のだと。ならば物理的に遠ざけるのが良い。手の届かない高い所、別室、あるいは、家に置いて外で作業するのもアリだと思う。正直、この1つ目ができないようではこの記事を見ている貴方の生活は何ら変わらない。僕もそうだった。

 

 

 

3浪による、過去の自分へのお説教はこの辺にして、机に向かうための方法2つ目は

 

 

②「日光を取り入れる、換気をする」

 

 

である。ここで注意すべきは、②③は①ができた人が更なる集中を獲得するために行うべき事であって①は全ての必要条件となることは忘れないでほしい。②を要約すれば、窓とカーテンを開(あ)けた「ひらけた環境」で勉強すれば集中しやすいということだ。科学的な根拠があるかは分からないのであくまでも主観だが、

「集中の持続力」

という点では、閉鎖的な環境で勉強するのと比べても雲泥の差があるように思う。

 

 

 

そして3つ目は

③「その日やることをその日のアタマにリスト化して掲示

 

 

である。いわゆる「To doリスト」なるものをその日のアタマ、あるいはそのタスクをこなす前に確認する事。「今からやるべき事」を視覚化できる状態にして誰が見てもはっきり明確にする事でモチベーションアップにもなるし、やらねばという責任感、使命感のような気持ちも生まれる。特に受験生は週毎、月毎の計画は立てているだろうが、それに加えて日毎のTodoリストをその日のアタマに確認するというのは頭の整理にもなるのでオススメする。

 

 

 

以上、今回は僕3浪生が3年かけて編み出した

「机への向かい方」「集中しやすくする方法」

を記事にさせて頂いた。偉そうに色々と書かせて貰ったが僕もまだ毎日完璧にやれてるかといえば確実にNOである。初めての共通テストまで残り200日程度、まだやれるぞ俺。

 

 

無我

 

 

 

現役でセンター8割とったのに3浪

「慢心」「高望み」

 

 

という言葉が現役時に不合格になった時の自分にピッタリくる言葉だと思う。

 

世間的に「浪人」という言葉を聞くと、

「高校時代に勉強してきてない、不真面目な学生」という印象を持たれることが多い。予備校時代の話はまた別記事にて書くが、確かに全浪人生の7割はそういう生徒である。

 

しかし、大手予備校に通い、たくさんの社会的マイノリティである「浪人生」を見てきた事のある僕の経験からすれば、必ずしもそうではないというのを声を大にして言いたい。ではなぜそういう人達は浪人してしまうのだろうか。ここから持論を述べたいと思う。

 

 

自分も含め、彼らの多くは進学校に通い、それなりの勉強を高校で強いられてきた高校受験の勝ち組であることが多い(自分で言うのもなんだが、自分もこれに当てはまる)。なので彼らには

〇高校3年間、レベルの高い環境で切磋琢磨してきたというプライド

〇高校2年間で3年までの内容を終わらせてきたという先取り学習の優越感、特権感

〇高校入学当初から高校から洗脳されることによる、国立大学への強い執着

 

という3因子が綺麗にそろっている事が多い。

 

これが大学受験にとってはマイナスに働くことが多い。つまり、

「他高校とは違う、自分達は異質である」

という意識が、勉強に対するマンネリ化、怠惰化をうむのだと僕は思う。

 

 

僕の場合もこれだった。

僕の現役時のセンター点は900点満点の720点。

つまり8割である。センター試験までは、情報をシャットアウトした、ある意味閉鎖的な環境で進学校という環境を借りて勉強していたので周りを見て安心する事がなかった。多少休む事もあったが毎日手は動かしていた。

 

 

だがセンター試験終了後、現役にしては思った以上の点数が出て、

「自分には勉強の才能がある、天才だ」

と慢心したのが大失敗だった。自分は勉強ができるタイプだと思った僕は二次試験の難しさにかなり定評のある某旧帝大学に出願したのだが、これは「高望み」過ぎた。高校3年間を通して、センターも2次もバッチリ対策を決め込んできた他の高校生には及ぶはずもなくあっさりと不合格に。

 

 

「そりゃそうなるわな。」

と今となれば思うが当時は

「自分は頭がいいのに何故落ちたのか」

と考え、くだらない言い訳ばかり探していた。

 

 

 

僕が現役時に落ちた理由はこんな感じだ。

これらの経験から、今目標に向かって勉強している人に対するアドバイスとしては

「結果が出るまで慢心するな」

「自分の実力相応の大学(目標)であるか」

 

この2つに集約される。参考にして頂ければありがたい。

 

 

今回はこれにて。   無我

 

 

限界3浪生、ブログ開設。

はじめまして。今回はブログ初投稿なので簡単に自己紹介をしようと思う。

 

名前:無我

 

年齢:20歳無職(3浪目)

 

目標:医学部医学科合格

 

ブログ開設の理由、ヒトコト:

自分は色々な理由が積み重なり、2020年現在、大学受験において3浪している身である。受験において、多くの失敗や挫折をしてきた。

 

 

そこで、これから受験生になる、あるいは受験生の人に、勉強において少しでも自分と同じ「道の間違い」をして欲しくないという想いでブログを開設した。

 

 

主に受験生に向けたブログではあるが、「勉強、学習のノウハウ」を現在進行形で模索し、体系化していくつもりであるから、社会人の方が新たに何かを勉強していく際にも参考になるノウハウを多く詰め込んだブログになるように努めたいと思う。

 

 

目指せ合格!

今回はこの辺で。   無我