浪人生の親戚問題
夏が正念場なのに夏バテの無我ですどうも。
今回は浪人生なら誰しもが経験したことのあるであろう苦悩についてボヤキを書いていきたい。タイトルにもある通り「親戚問題」である。
浪人生の苦悩の1つである「親戚問題」とは何なのか。簡単に言えば
「応援されればされるほど、浪数を重ねれば重ねるほど、元々円満な関係を築いてきたはずだった親戚を、無意識のうちに避けてしまう浪人生特有の現象」
の事だ。この時点で浪人生なら大いに共感してくれるだろう。
多少自分語りをしようと思う。
僕は、今は都内に住んでいるが、元々は田舎生まれな事もあり、生まれた頃から、田舎に住む親戚(特に祖父母)とは正月やお盆休みに帰省して色々な所に連れていってくれたり、共に多くの時間を過ごすような関係だった。
老体を引きずって高校の運動会や文化祭に来てくれたり、自分の習い事の発表会に来てくれたりもして、離れていてもいつも僕の身を案じてくれた大切な存在である。
だが浪人生になってからその関係は徐々に変化していった。
僕は浪人している事を「恥」として思ってしまうあまり、今までよくしてくれた親戚を遠ざけたし、今も遠ざけてしまっている。具体的には向こうからかけてきた電話にでなかったり。
浪人している事に対して、嫌味を言われたり、陰口を叩かれてるわけではないのだと思う。だけどもやはり
「勉強してないから浪人している」
「もうそろそろ諦めたら?」
と面と向かって(電話ごしにでも)思われたくない、言われたくないという気持ちが僕の中にあるのだと思う。要するに真実を突きつけられるのが怖いのだ。特に僕の場合は
「勉強してないから浪人している」×3(浪)
ということもあり現実逃避を極限まで続けてしまっているので、もはや目を見て喋る事などできない状態だ。
だから僕は普段は
「昔の人には中卒、高卒からの就職が当たり前の世界であり、浪人、という概念がないから僕の気持ちは分からない」
というテイにして、電話に出られない言い訳をしている。つまり、不甲斐ない自分からの「逃げ」である。
ここで誤解しないでほしいのだが、僕が浪人する事によって、親戚側の態度が変化しているなんて事はほぼないのだ。むしろ自分の長い受験生活を応援してくれてさえいる。
ただ、肝心の僕側が、その応援を素直に受け止められないし、応援されればされるほど、自らの浪人している(社会に適合できていない)状況を突きつけられる気がして、相手の声を聞くのが辛いのだ。
正直この関係を浪人中に改善する事は無理だと思う。なぜなら僕サイドの意識の変化が必要だからだ。僕サイドの意識は
「浪人をやめて大学生になる」
事でしか変わらない。社会に適合できないせいで自分にこびりついた「浪人生としての恥」を捨て、「大学生」という肩書きを得て、社会に適合できるからだ。
なので受験が終わったらすぐ帰省して恩返しをしたい。
多少自分語りが長くなってしまったが、僕以外にも受験生とくに浪人生で親戚との関係が気まずくなってしまっている人は多いと思う。そういう人は大体コチラ側の心にわだかまりがあるケースが多い。だからそのわだかまりを解かなければならない。
そしてこれを見てくれてるであろう受験生、浪人生に関しては、その「わだかまり」は合格する事によって一気に解消できるはずだ。僕もそうだと信じている。早く合格して一緒に恩返ししよう。
よくオトナ達は「他の誰かの為に合格しよう」とか綺麗事をぬかすが、そんなもん関係ない。自分の為に合格すればいい。自分の為に、自分が行きたい所に行ければそれでいいのだ。それが結果的に、結果論として誰かを喜ばせたり、誰かを助けたりする事につながれば儲けもんだというくらいがちょうどいいだろう。
僕の場合はその「儲けもん」は親戚達の笑顔である。
無我